サイト管理人・HL-79E所有者

中尾幸太郎(なかおこうたろう)京都生まれ湘南辻堂在住のエンジニア

1973年生まれ
小学6年の頃、親に買ってもらっていた定期購読誌「学研の科学」でアマチュア無線の世界を知り免許を取得。同時に電気と電波に興味を持つようになる。
ある日自宅で消防無線を傍受していたら近所で火災が発生したとの情報を聴き慌てて現場に走って行ったら消防隊よりも早く到着したため衝撃を受けた。
情報の速報性、共時性に震えた。

大阪の専門学校を卒業後テレビ局の報道プロダクションで撮影助手の仕事に就く。
エンジニア志望と言っても特にやりたい職種が無かったが、まさかテレビ局で働けると思っていなかったし報道カメラマンはカッコいいし、何といっても仕事と称して毎日いろんな所に出かけられるのがうれしかった。

当番制で夜の5分枠のニュース番組のVTR操作の仕事があり、テレビ局のマスター室と呼ばれる心臓部で、その時間だけは僕の手元のボタンがテレビ局の送出する映像になる。それは同時に自分のボタン操作が近畿一円に伝播している訳で、この緊張感は代えがたい経験となった。

その後東京に移住し赤坂の映像プロダクションに入る。小さな会社だったが在京キー局の仕事が多かったし、技術的にも勉強になった。

この会社には放送用カメラが2台常時稼働していたが、その他にひっそり棚に隠れていたのが
池上通信機HL-79Eだった。

使い古された感が強く、予備的な存在に追いやられてて「重くて昔の使いづらいカメラ」という印象だったが、先輩方は発色の良さを語っていたものだった。

HL-79Eは現代のCCDセンサーとは違い撮像管と呼ばれる部品で、1時間くらい電源を入れて暖機しないと映像が安定しないという代物で、一度電源を切ると色がズレるので再調整が必要だったり、強い光源を撮ると残像が出て映像が焼き付きを起こしてしまったり、先人たちの苦労を垣間見ることができる。

時代はやがてアナログからデジタルへ、そしてハイビジョンへと移行。先には4K8Kというロードマップが見えている。

解像度の追求は果てしないだろう。しかしNFTの世界では24×24ピクセルのアートが数億円という値段で取引されている。
525本で表現されるアナログ撮像管カメラは希少である。
部品も少ないし調整できるエンジニアも高齢だ。なので今再生したいと活動を始めた。

2022年4月